誹謗中傷をなくすには?立ち位置と距離感

コミュニケーション

「誹謗中傷はよくない」
これが大前提ではありますが、その言葉だけに頼りすぎている気もしています。

そろそろ、誹謗中傷はダメ!ではなくて、SNS上にある人と人の距離感を現実に近いものにする時期が来ているのではないかな?と思うんです。

誹謗中傷について

誹謗中傷とは?

まず、誹謗中傷とは何か。

誹謗中傷とは、悪口などを書き込むなどして、相手の人格や名誉をおとしめたり傷つけたりする行為です。
インターネット上の誹謗中傷は、内容によって名誉毀損罪めいよきそんざい侮辱罪ぶじょくざいなどの刑事責任を問われる場合があります。

※「誹謗」~相手の悪口を言ったりすること。
「中傷」~根拠のない、嘘やでたらめを言って他人の名誉を傷つけること。

他人の人生を狂わせるインターネット上の誹謗中傷

相手の悪口を言ったり、根拠のない嘘やでたらめで相手を傷つけたりすることが誹謗中傷となり、加えて、名誉棄損罪や侮辱罪というものに該当することもあります。

誹謗中傷の件数の推移

https://www.soumu.go.jp/main_content/000881624.pdf

総務省が設立している相談窓口の件数は高止まりしていることがわかります。おそらく世間に認知されて相談件数が増えたが、認知が行き届いたあとは件数が高止まりしているのだと思われます。

厳しい言い方をすると、抑止の呼びかけや対応策が効果を発揮していないという見方ができるかと思います。

なぜ誹謗中傷を行うのか

「調査の結果、誹謗中傷する人はネット利用者全体の1%未満で、特別な傾向は見られず、中高年も多いことが分かりました。書き込む理由の一つは、間違いを正さねばならないという気持ちからくる正義感。もう一つは自分の中に鬱憤(うっぷん)があって、人を攻撃したいという気持ちに駆り立てられているのが理由」と田中教授は言います。

SNSと誹謗中傷よくある傾向と防衛策とは - 東京都人権啓発センター
人権問題の啓発・教育、冊子発行、講師派遣、イベント、ラジオ番組等で人権の理解を促す活動を推進。

なぜ誹謗中傷を行うのかは、”正義感”と”憂さ晴らし”。どちらか1つというよりも、どちらも含まれているようにも感じますが、とりあえずはこの2つが大きな要因と言えるようです。

誹謗中傷をいさめる声に対して納得がいかない1つのポイント

これは僕個人の感覚ではあるが…誹謗中傷がダメなのはよくわかる。よくわかるが、一包みにして「ダメだ」と言いにくいという気持ちがあります。

だからといって推奨はしません。しませんが、誹謗中傷っぽく見えるものは全てダメだとは言いにくいというか、世間的には一応にして「許せ」「誹謗中傷をし返したらだめだ」と言いますが、どうもシックリきていません。

加害者なのか被害者なのかという立ち位置の違いがあると思っているからです。

実害がない 実害があった
許せない
許す

こういう立ち位置の違いがあると思うんです。実害があったのか、なかったのか。それを許せるのか、許せないのか。

世間一般のイメージする誹謗中傷をしている人は、Cに該当する人だと思うのです。自分自身に実害はないけど、許せない。だから一言いってやりたい。これを誹謗中傷と呼んでいるはずで、僕もそう思います。このタイプの人は普通に悪だと思います。

ただ、実害があったし許せないから相手への反撃として強い口調で言葉を相手にぶつけたというAの人も、誹謗中傷の範囲に含まれますよね?これ、同じレベルの同じ質の悪なのでしょうか?

 

この記事を書いている段階では、インフルエンサーのフワちゃんが芸人のやす子さんに誹謗中傷めいた発信をしてしまい、それが炎上しました。そんなフワちゃんに対してそれこそ誹謗中傷と呼べるものが飛んでいますが、やす子ファンからすれば「ざけんなよ!」となるのは当然だと思います。

(便乗してフワちゃんが嫌いだからと誹謗中傷している人には、それはちゃうよね?とは思いますが。)

このようなやす子さんのファンのケースは、ひどい事を言われたのに黙ってろってほうが自分には納得がいきません。やられてムカついたんだからやり返したいって気持ちは理解できるし、やり返す権利は多少なりともあると思っています。

 

つまり、先ほどの二者の違いを放置したままで、「誹謗中傷はダメだ。許してあげましょう」と言うのは違うというか、CとAでは心理的葛藤が全然違うはずです。

Aの人は実害があるんだから、許せないという気持ちを消せないとしても仕方がないと思います。でも、それを「許せ」と強く迫るのは、どこか違うんじゃないかな?と今の僕は思うわけです。なぜ被害者側が一方的に我慢しなければいけないのだ?と。

Cの人は被害者でもなんでもないのですから、許す・許さないは気持ち一つだと思いますし、そもそもとして、許さないってお前何様やねん!って思ったりもします。

実害のあった被害者の気持ちのやり場をもう少し考えてみては?と思うわけです。

被害者が反撃したら加害者と同等なのか?

一つ疑問に思うのが、反撃をすれば本当に加害者になるのか?ということです。

  • 謂れのない悪口を言われた側が反撃として言い返したら、それは攻撃をしかけたとみなされるのか?

こうやって文章でみれば「ならないよね?」と思うはずです。ただ、SNSで見かける誹謗中傷はやめておけって意見の中には、そのニュアンスが含まれてます。誹謗中傷したら、同じ人種になるぞ!と。

どうも解せません。

少し規模と立ち位置をかえると、それはこういうことが言えるはずです。

日本は専守防衛の国、攻撃をされたらし返すけど、自分からは攻撃をしません。そんな日本がミサイルを撃ち込まれた。だから反撃をした。これって、攻撃を”仕掛けた”ということになるのでしょうか?

反撃をしたのであって仕掛けてはない!となるのではないでしょうか?

なぜ反撃をしたのか?相手にダメージを与えて、攻撃をすると痛い目に遭うと分からせるためだとするなら、誹謗中傷を受けた人が反撃することの何がダメなのか?

誹謗中傷を黙って許していると、第二弾、第三弾が来て、つらい思いを重ねるだけでは?

そう思うので、僕は被害者が反撃をする場合に関しては止めるつもりはありません。

「誹謗中傷はやめておけ」では止まらないと思う理由

少し上に、誹謗中傷をする理由として正義感からというものがありました。

だとするなら、誹謗中傷をやめろ!と注意することは、あまり抑止力がないんじゃないの?って思うんです。

どちらも正義感が動機なので同質では?

正義感で誹謗中傷をしているZさんがいる。そのZさんに「誹謗中傷をやめろ」と注意するXさん。構図としてどちらも同じだと思うんです。

  • Zさんは誰かに対して、正義感から注意をしています。
  • XさんはZさんに対して、正義感から注意をしています。

どちらも同じ動機で同じ行動をしています。正義感で相手を注意しています。

なので”「誹謗中傷はよくない」と注意をする”という行為は、自己矛盾とまではいかなくても、あなたも誹謗中傷しているぞとZさんが受け止める可能性がありますから、説得力が弱いと思うのです。

だから、イマイチ響かない=誹謗中傷が減らないという状況になっている気がします。

誹謗中傷を減らすには…

そんな誹謗中傷を減らすにはどうすればいいのか。

僕個人が思うのは”忠告できる権利”や”忠告できる人の条件”を設定できるようにすればいいんじゃないかな?と思っています。言い方を変えると、誰でも自由に相手に忠告や注意ができるのがおかしいんじゃないか?と。

SNSとリアルの違い

SNSでは比較的自由に誰にでも話しかけることができます。それが魅力ではありますが、それが無差別の誹謗中傷に繋がっている気がしています。

よくよく考えてみると、すごく変なことだと思うんです。

街中で歩いていて、どこの誰かも知らない人に話しかけられ、なんなら注意をされるわけです。リアルの世界でそんなことが起きたら喧嘩を売ってんのか?と思うかもしれませんし、変な奴だな…と距離を取るはずです。

でも、ネットの世界ではそれがわりと普通で自由です。この距離感が変な誤解を与えている気がするんです。

「有名人やプロに自由に話しかけられて、なんなら偉そうに忠告までできる自分は実は凄いのでは?」

そんな錯覚を生んでいるのでは?と。

 

ネットの世界も、現実と近い距離感を作る工夫が必要な気がします。

例えば、フォロワーだけが話しかけることができるであったり、ある程度のプロフィールの確認ができているアカウントのみが話すかけることができるなどの条件を設定してもいいんじゃないかな?と思うんです。

それはプラットフォーム側の工夫ではなくて、誹謗中傷が高止まりしていて、減る気配がないのですから、国が法律で縛るほうが良いようにも思います。

つまり…

決して誹謗中傷を推奨しているわけではありません。推奨はしていませんが、だからといって大雑把にひとくくりでダメと言ってしまうのも乱暴な気がしています。

その大きな理由が、”被害者が反撃としてあげている声かもしれないから”です。

被害者が反撃として声を上げることはとても重要なリアクションだと思います。そういう反応を示すから、実害を加えた相手に対して矛先が向くし、どれだけ傷ついているのかが部外者にも伝わります。つまり、構造と大きさが被害者の声を通してわかる部分はあると思っています。

だから、紋切り型に頭ごなしで”誹謗中傷はダメだ”と言ってしまうのは、そういう被害者の声をも封じ込めてしまう気がするので、あまり賛同できません。

 

加えて、誹謗中傷問題の解決を図るには、距離感をコントロールする工夫をSNSの中に入れるべきだと思っています。”誰でも彼でもが自由に言葉をぶつけることができる”というのはネットだからこそのメリットのようで、今それはデメリットのほうが大きいように思います。

もっと現実と近い距離感にしたほうが良いんじゃないかな?と。

認められたフォロワーだけが話しかけられる、プロフィールの精度が高い(個人が特定できるレベル)にあるアカウントだけが話しかけられるなど、現実の距離感と近づける工夫をすべきじゃないかな?と。

じゃないと、謂れのない誹謗中傷をやめろとスローガンを掲げる程度では即効性はないし、おそらくなくならないと思います。

 

「誹謗中傷をやめろ」と単に圧力をかけるだけで行動を変えようとするより、その中にある力関係や構造を整理して最適化する方向で世の中が動いてほしいな…なんて自分は思っています。

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