読書メモブログ

読書して思ったこと・分かったこと

才能がある人とはどういう人を指すのか

才能がある

それはどういうことを指すのか。

才能があるというのは、なんとなくイメージができる。
でも、他の人の意見を聞くと、どうもイメージしている才能があるというものとは少し違うような・・・

そんな違和感を感じたことはありませんか?

 

僕もそんな違和感を感じることがあったのですが、ストンと落ちるような定義づけをしている本がありましたので、それを紹介したいと思います。

分かったからどうということはないのかもしれませんが、1つ言えるとすれば”才能があるとは、習慣にできること”であるようです。

 

才能がある人とはどういう人を指すのかについて

才能について考える時には、「才能」と「センス」を分けて考えるほうが分かりやすいようです。

多くの人がイメージする才能とはセンスのことを指していて、それは才能はまた別のモノだと考えると、才能がある人とはどのようなものか、どうすればそうなれるのかが見えてくるかもしれません。

才能とセンスの違い

精神科医の和田秀樹先生の著書「「あれこれ考えて動けない」をやめる9つの習慣 (だいわ文庫)」に、才能とセンスの違いについて触れている部分が、それがあり非常に印象的でした。

才能とセンスは次のような違いがあるようです。

  • センス … 吸収力
  • 才能 … 継続力

一般的には、才能があるというのはセンスのある人のことを指していると思います。

1回見ると覚えてしまうとか、1回実践するとマスターできるとか。
吸収力の速さを才能と呼んでいますが、これは”センス”です。

才能は、それを飽きずに淡々と延々と続けることができることです。
それを習慣にしても苦じゃないことが才能です。

作家の俵万智さんは、これを才能には”掛け算”と”足し算”があるとも表現されていたそうです。

センスは掛け算であり、才能は足し算。

センスのある人が淡々と練習を継続すると誰にも追い付けないが、センスがあっても継続できないのなら、センスがなくても継続できる人が追い抜くこともあるそうです。

すごい実績を残す人は才能もセンスもある

センスと才能の2つの特性があるのだと分けて考えると、圧倒的な実績を残す人は、センスも才能も兼ね備えた一部の人たちであるということになります。

オリンピアンやプロスポーツ選手、芸術家・・・等々、すごい成績を残す人は、センスがある上に、継続的な練習を積み上げています。だから誰にも手にできないような成果を手にしています。

要するに、大切なのは、センスだけではなくて継続性です。

 

先ほど俵万智さんがセンスは掛け算といっているのは、継続してこそ意味があるからという意味でもあります。

どれだけのセンスがあっても、鍛錬を1度行っただけではそれほど伸びません。
しかし、鍛錬は足し算なので、継続すれば少しずつ積み重なったいきます。

1段ずつしか積み上げれない人でも、1段ずつの積み上げを続けていれば、いずれ100段、1,000段を積み上げることができます。

式にするとこのような感じかもしれません。

  • 実力=鍛錬×センス + 鍛錬×センス + 鍛錬×センス…

1回の鍛錬に対してセンスの有無で伸び率は変わります。
そして、その鍛錬は積み重なっていきます。

 

センスがある人が1度で積み上げた高さを、センスがない人が一度で積み上げることはできないかもしれませんが、3度、4度積み上げると追いつくかもしれません。

センスがあっても継続できないのなら、センスがなくても継続できる人がいずれ追い付き、追い越していきます。(ウサギと亀ですね)

センスの有無も大切だがそれですべて決まるわけじゃない

一般的に言う才能の有無というのは、センスの有無を意味していることが多いと思います。
「呑み込みが早い=才能がある」という評され方をしているはずです。

しかし、実際は呑み込みの早さはセンスの有無です。

センスがいいから、吸収が早いのです。そのセンスの良さを持って実力を高める鍛錬を重ねていけば、敵なしレベルの実力になります。

つまり、継続が大切です。
センスのいい何かを継続的に鍛錬する習慣を身に着けることができるのかどうかが大切です。

その継続できるのかどうかが”才能”のようです。

まとめ

才能とは何かとなると、センスを活かす能力であると理解するほうが現実に近いかもしれません。

では、センスとは何かとなると、吸収力です。
1回見れば覚える、1回使えばわかる・・・等々、呑み込みの早さがセンスです。

しかし、1回だけでは一流やプロにはなれませんから、淡々と同じことをやり続けることが能力を伸ばすためには不可欠です。この同じことをやり続ける力を才を活かす能力=才能となるようです。

 

以前、僕が聞いた話です。

中国のオリンピック新体操チームのコーチをしていた方が、コーチを辞めて大阪で体操教室を開いておられて、その方から話を聞いた方にまた聞きした話です。

センスだけを見れば内村航平さんと同レベルやそれ以上の選手は中国にも居たかもしれないそうです。それでも内村航平選手には全く歯が立ちませんでした。

練習量も負けてないとは思っていたのに、それでも勝てなかった。

なぜだろう・・・と考えた時に、内村航平さんほど新体操を好きだったかどうかで疑問が残るそうです。

 

内村航平さんにもセンスは当然ありますが、新体操という競技が好きで、寝ても覚めても新体操のことを考えて、何度も何度も練習をする。この継続的な努力を厭わないことが圧倒的な差になったし、その差を生んだのは”好き”という想いの深さの違いと分析されていたそうです。

その競技が好きだから、単調な練習すらも何度も何度も飽きずにやることができるそうです。

一流の世界の人たちの中で差がつくのは、そんなシンプルな理由なのだそうです。

 

淡々と継続できるのには、それができる理由がそこにはあるはずで、たいていは、それが”好き”というシンプルな理由であることがほとんどです。

好きだから、それを淡々と継続してやれる。
だから能力が伸び、才能が開花するのかもしれません。

どんな花が咲くのかは咲いてみないとわかりませんが、つきつめると、淡々と繰り返し夢中で実践できることこそが、自分が一番輝く能力が眠っている場所なのは間違いがないようです。

 

よければ参考にしてみてください。